【四国八十八ヶ所】岩本寺 第三十七番 高知県

【四国八十八ヶ所】岩本寺 第三十七番 高知県

岩本寺(いわもとじ)は、高知県高岡郡四万十町にある真言宗智山派の寺院。

藤井山(ふじいざん)、五智院(ごちいん)と号す。本尊は不動明王、聖観世音菩薩、阿弥陀如来、薬師如来、地蔵菩薩の五仏。

四国八十八箇所霊場の第三十七番札所である。

本尊真言:おん あみりた ていぜい からうん/ おん ころころ せんだりまとうぎ そわか/おん あろりきゃ そわか/ おん かかかびさんまえい そわか/ のうまく さんまんだ ばざらだん せんだ まかろしゃだ そわたや うんたら たかんまん

ご詠歌:六(む)つのちり五(いつ)つの社(やしろ)あらわして ふかき仁井田(にいだ)の神のたのしみ

納経印:当寺本尊、奥之院矢負地蔵

前後の札所、36番青龍寺および38番金剛福寺との距離が遠く、四国八十八箇所巡礼の遍路は当寺で一泊することが多かった。

空海(弘法大師)の七不思議伝説が伝わる。それは仁井田五社にあったもので、子安桜(この桜に祈れば安産する)、三度栗(三度目は空海が焼き栗を加持したところ一年に三度も実るようになった)、口なし蛭(加持をしたところヒルが血を吸わなくなった)、桜貝(桜の花が散ったのを加持したところみんな貝になった)、筆草(ねじ花)、尻なし貝(巻貝に棘のあるもの)、戸たてず庄屋(空海が泊めてもらったお礼に加持をしたら泥棒が入らなくなった)である[1]。

寺伝によれば天平年間(729年 – 749年)に聖武天皇の勅命を受け行基が七難即滅・七福即生を祈念して開創したのが起源であるという。それは現在地より北西約2kmの仁井田川のほとりで、仁井田明神のあったことから当時は「仁井田七福」、別名「七福寺」とよばれた。その後、弘仁年間(810年 – 824年)に空海(弘法大師)が五社・五寺からなる福円満寺を増築し、東から、東大宮が不動明王、今大神には清浄観音菩薩、中宮が阿弥陀如来、西大宮が薬師如来、聖宮が将軍地蔵菩薩とそれぞれ本尊を安置し、星供の秘法を修したという。こうして「仁井田五社十二福寺」と称し嵯峨天皇の勅願所となり栄え、別当寺の福円満寺が札所であった。

天正年間(1573年 – 1592年)に兵火によって焼失するが、時の足摺山主・尊快親王が弟子の尊信に命じて再興した[2]。

一方、岩本寺は、町中にあり福円満寺から足摺へ向かう途中の宿坊であった。中世末に一宿した尊海親王がこの宿坊に岩本坊の名を与え繁盛した。1652年から1688年の間[3]に衰退した福円満寺から別当が移り、岩本寺と改称し[4]、納経は「五社大明神 別當岩本寺」と記帳された。

明治初期には神仏分離により仁井田五社の5つの仏像は岩本寺に移されたが、しばらくして、仏像と札所権は八幡浜の吉蔵寺に移る。しかし、明治22年(1889年)岩本寺は復興して仏像と札所権を取り戻し、現在に至る。

境内

山門(仁王門)

 


本堂 – 1978年に新築された本堂の天井には画家や一般市民が書いた575枚の天井絵が飾られている。花鳥風月に混じってマリリン・モンローの艶然たる微笑がみられる。

大師堂:大師像が拝顔できる。

鐘楼

聖天堂 – 円形の堂で歓喜天を祀る。

開山堂
水天宮
高田屋嘉兵衛へんろ石 – そえみみずへんろ道道中の海月庵跡から移設
山門(仁王門)を入ると左に手水場、納経所、右手に聖天堂、鐘楼があり、正面右手に本堂が建つ。本堂の左には水天宮、鐘楼の奥に大師堂がある。本堂の正面に、土産物を売っている売店と宿坊があり、トイレもここで借りる。境内の裏手には土佐くろしお鉄道の線路が通り、参拝中に列車の姿を見ることができる。

宿坊:定員50名
駐車場:15台、大型4台。駐車料金は納経所で(普通車なら200円)払う。

交通案内
鉄道

四国旅客鉄道(JR四国) 土讃線 – 窪川駅下車 (0.7km)
バス

高知西南交通・近鉄バス(しまんとブルーライナー号) 窪川駅前下車 (0.7km)
道路

一般道:国道381号 四万十町役場入り口 (0.3km)

前後の札所
四国八十八箇所
36 青龍寺 –(58.5km:横浪スカイライン経由)– 37 岩本寺 — (80.7km)– 38 金剛福寺

 

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