【四国八十八ヶ所】47番 八坂寺(やさかじ)愛媛県松山市 2014年3月の訪問

八坂寺
(やさかじ)は、愛媛県松山市浄瑠璃町八坂にある真言宗醍醐派の寺院。熊野山(くまのざん)、妙見院(みょうけんいん)と号する。本尊は阿弥陀如来。四国八十八箇所第47番札所、伊予十三仏霊場第10番札所。
本尊真言:おん あみりた ていぜい からうん
ご詠歌:花を見て歌詠む人は八坂寺 三仏(さんぶつ)じょうの縁(えん)とこそきけ
寺伝によれば役行者によって開基され、大宝元年(701年)に、伊予の国司越智玉興が、文武天皇の勅願を受けて堂宇を建立したという。このとき8ヶ所の坂道を切り開いて創建したことから寺名になったといわれている。一時荒廃するが、弘仁6年(815年)に来錫した空海(弘法大師)が再興したとされる。 本尊の阿弥陀如来は源信(恵心僧都)の作と伝えられる(現本尊は鎌倉時代後期の作)。
その後、紀州から熊野権現を勧進して十二社権現とともに祀り、修験道の根本道場として栄え、12坊、84の末寺を持ち多くの僧兵を抱える大寺となった。天正年間(1573年 – 1592年)には兵火によって焼失してからは寺域も縮小し、現在の境内は、十二社権現と熊野権現が祀られていた宮跡である。
- 山門:屋根付き橋のようになった単層小型の門で、天井には22の菩薩と阿弥陀如来が描かれている。
- 本堂:2034年が次回本尊開帳の年であるが、2014年に特別開帳された。脇仏は不動明王と毘沙門天。
- 大師堂:大師像を拝観できる。
- 閻魔堂:極楽の途、地獄の途に分れそれぞれの様子が描かれている。「極楽往生通行手形」(亡くなった時に棺の中に納め一緒に荼毘にふす)を授けてもらえる。
- 熊野十二社権現堂:拝殿と背後に本殿
- 宝篋印塔と層塔:宝篋印塔は納経所の前付近に、層塔は大師堂の前付近にある。
- 救いの手:本堂の段に上がる石段の10段目左側にあり。九難を去る救いの手である。
- 鐘楼
- 不動明王像(いやさか不動):平成17年に建立、以来毎年4月29日柴灯護摩供が催行される。
- 句碑:森白象[1]「お遍路の誰もが持てる不仕合」が鐘楼の対面にある。
小川を渡る橋を兼ねた山門をくぐると右に手水場と庫裏・納経所が、左に宝篋印塔が、その先に鐘楼がある。正面奥に本堂が建つ。本堂右手には権現堂、十二社権現堂があり、本堂左には閻魔堂があり、そして大師堂がある。 駐車場に来た車遍路は、外から下って山門を入り、中央の石段を上がって本堂大師堂を参拝後、また納経所まで下り、山門から出て駐車場に外から戻り、車は左折し上がって八坂霊園の中を通過して、寺を後にするように寺は指導している。
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- 宿坊:なし
- 本坊
- 八坂霊園:石造十三仏
- 駐車場:50台。無料。
2014年3月の訪問
これぐらいの道の細さはいつものとおりです。
駐車場はお寺のすぐ前にありました。
山門
白とピンクの桜たちがお出迎え。綺麗。
ハクモクレンの白い花もいいですね。
ユキヤナギ?↑↑
お帰りはこちら↓↓すこしフロントリップをこすりそうでしたが大丈夫でした。
いろいろな花が楽し見せてくれます。
四国八十八ヶ所めぐりは春がいいですね。
2013年4月の訪問
山門
シャクヤク
シャクヤクは草木で高さ約60cm。ボタンは樹木。
ツルニチニチソウ、ツルギキョウ
これはボタン?
太子堂
本堂
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