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常識とは考えることを放棄したナマケモノの言葉です | |||||
なにかのことがらについて、ひとつの意見しか考えられないとき、あなたは常識という怠惰に毒されています。
多くの人たちは教育、社会風習、習慣、教育により、本来の自分というものに歪みを加えられています。 このことに気づく人たちはごく少数です。 世間の常識や教科書のなかにあることが、あたかも自分の考えであるように思っています。 このような常識は人の行動のレールのようなものです。それに沿って歩いていれば頭を使わずに棺桶のなかまで行ける。 たしかに楽ですが、それは、まるで植物や動物のように何も考えずに、ただ生きて死んでいくだけということでもあります あなたは人間になりたいですか、それとも死んだまま生きていきたいですか。 ほんとうに自分の心で考えている人は少ないのです。 あなたの周囲に「これはこうでなければならない」とか「こうでないとだめだ」などと言っている人いませんか。 こういう人は自分の頭で考えた結果なのか、それとも条件反射で口が動いているだけなのか、よく観察してみよう。 あなたの意見と正反対の意見も考えること。それによりあなたの認識はその存在の理解に近づく。 なまけずに真実を探求せよ。 物質が見えるためには必ず光りをあてる必要がある。 光を当てたとき、かならず光と影があることに注目せよ。 光の当たる部分と影の部分で存在は構成される。 このことは存在のもつ意味の二面性を象徴している。 すべての存在はひとつのなかに反対の意味を持つ。 光の当たるリンゴは光の当たらない部分も持つ。 by macken in 2000 |
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