人事を尽くして天命を待つ
という言葉がありますが、まさにこれなんです。
自分のやれることをすべてやったなら、あとは
「神様、助けてくださ〜い」
って神様に丸投げするのです。
ここから先は、神様を信じるか信じないか、その人の信仰ということになります。
信じる人はもう悩まなくてもいいのです。
「何を着る、何を食べると悩むことはない。
野の鳥でさえ毎日心配せずに暮らしているではないか。
まして人間を鳥より下に神様は創るはずが無い」
というキリストの言葉があります。
マタイ伝の第6章
旧新約聖書、縮刷版、日本聖書教会、昭和25年
から以下に抜粋します。
25:この故に我なんじらに告ぐ、何を食(くら)い、何を飲まんと生命(いのち)のことを思い煩い、何を着んとからだのことを思い煩うな。
生命は糧にまさり、からだは衣に勝るならずや。
26:空の鳥を見よ、播かず、刈らず、倉に収めず。然るに汝らの天の父は、これを養いたもう。汝らはこれよりもはるかに優るる者ならずや。
27:汝らの中たれか思い煩いて身の丈一尺を加え得んや。
28:又なにゆえ衣(ころも)のことを思い煩うや。野の百合は如何にして育つかを思え、労せず、紡がざるなり。
29:然れど我なんじらに告ぐ、栄華を極めたるソロモンだに、その服装(よそおい)この花の一つにも及(し)かざりき。
30:今日ありて明日、炉に投げ入れらるる野の草をも、神はかく装い給えば、まして汝らをや、ああ信仰うすき者よ。
31:さらば何を食らい、何を飲み、何を着んとて思い煩うな。
32:これみな異邦人の切に求むる所なり。汝らの天の父はすべてこれらの物の汝らに必要なるを知り給うなり。
33:まず神の國と神の義とを求めよ、然らばすべてこれらの物は汝らに加えらるべし。
34:この故に明日のことを思い煩うな、明日は明日みずから思い煩わん。一日の苦労は一日にて足れり。
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