出雲の国造りをなされた素盞嗚尊は、根の国にわたり熊成の峰に登ると「吾の神魂はこの柏葉の止る所に住まん」と仰せら れ、柏の葉を投げ、占いをされた。すると柏の葉は風に舞い、やがて日御碕の現社地背後の「隠ヶ丘」に止った。これにより素盞嗚尊の五世の孫、天葺根命(あ めのふきねのみこと)はここを素盞嗚尊の神魂の鎮まる処として斎き祀ったといわれている。
日御碕神社の神紋、三ツ柏もこれに由来し、神域の付近からは柏の葉を印した「神紋石(ごもんせき)」と称される化石も出土している。その後、安寧天皇十三年、勅命で現社地に御遷座された。
日沈宮は「伊勢大神宮は日の本の昼の守り、出雲の日御碕清江の浜に日沈宮を建て日の本の夜を守らん」と天平七年乙亥の勅にあるように、神代以来、現社地にほど近い海岸(清江の浜) の経島(ふみしま)に建てられ、天照大御神を奉斎してきた。
その地にご鎮座なされたのは、天葺根命が清江の浜にお出かけになられた時、島の百枝の松に瑞 光が輝き、「吾はこれ日ノ神なり。此処に鎮りて天下の人民を恵まん。汝速やかに吾を祀れ」との天照大御神の御神託を聞き、ただちに島上に大御神をお祀りし た事に由来するとされている。
その後天暦二年、勅命により現社地に御遷座し、夕日を餞け鎮め祀る聖地として、四季を通じ夕日の祭を厳修、中央からは幸運 恵の神として深く崇敬されている。国家守護の宮として「日」の字を、村上天皇より賜り、神の宮と併せ「日御碕大神宮」と称せられるようになったのも、現社 地に御遷座された時からで、明治維新後社格制度により国幣小社に列せられ、日御碕神社と称するようになったのである。
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