【徳島】種穂忌部神社・吉野川市山川町忌部山、2017年4月
忌部族とは太古より天皇家の神事や生活の用品を生産加工する技術者集団のこと。
wikiより
忌部神社(いんべじんじゃ)は、徳島県吉野川市山川町忌部山(行政地名であり山の名である)[1]にある神社である。式内社(名神大社)の論社で、旧社格は村社(一時国幣中社)。なお、地名の「山川町」は麻植郡山瀬町と川田町の合成地名である。
社名
明治以前は「天日鷲神社」と称せられた。なお、後述するように王子権現の境内に祀られていたため、近世には「王子権現」とのみ記されてきた。
祭神
『延喜式神名帳』の「忌部神社」の注記に「或号麻殖神。或号天日鷲神。」とあり、麻殖神(おえのかみ)、別名天日鷲神であることがわかるが、現在の祭神は以下の通りである。
天日鷲翔矢尊(あまひわしかけるやのみこと) – 天日鷲命
当神社主祭神で、阿波忌部氏の祖神である。
后神 言筥女命(いいらめのみこと)
主祭神の后神であろうが、他に見えない。
天太玉尊
忌部氏の祖神である。
后神 比理能売命(ひりのめのみこと)
天太玉尊の后神である(洲崎神社・洲宮神社参照)。
津咋見命(つくいみのみこと)
『古語拾遺』天照大神の天岩窟幽居の段に、天日鷲命]]とともに穀(かじ)の木を植えて木綿 (ゆう)を作ったことが見えるが、天日鷲命]]の子神で大麻比古神社の祭神「大麻比古神」の別名とする伝えもある[2]。
長白羽命(ながしらはのみこと)
同じく『古語拾遺』天照大神の天岩窟幽居の段に見え、伊勢国の麻続氏の祖神であるとする。
由布洲主命(ゆふつぬしのみこと)
安房忌部氏の祖神で、天日鷲命]]の孫、大麻比古神の子とされる[3]。
衣織比女命(いおりひめのみこと)
他に見えず。
摂社
旧山崎村村域に鎮座する以下の7社を境外摂社としている。
忌部山
白山比売神社 – 山川町忌部山に鎮座し、伊佐奈美命を祀る
玖奴師神社 – 山川町忌部山に鎮座し、大国主命を祀る
岩戸
岩戸神社 – 山川町岩戸に鎮座し、天石門別命と天太玉命を祀る
建美神社 – 岩戸神社と同所に鎮座し、天底立尊と建御名方命を祀る
天村雲神社 – 山川町岩戸に鎮座し、天村雲命と伊自波夜比売命を祀る。式内小社「天村雲神伊自波夜比売神社」に擬する説もある
東麓
若宮神社 – 山川町東麓に鎮座し、思兼尊と長白羽命を祀る
祇園
淤騰山神社(おどやまじんじゃ) – 山川町祇園に鎮座し、速須佐之男命と櫛稲田姫命を祀る
由緒
『古語拾遺』の造祭祀具斎部の段に、天太玉命の孫神である天富命が、穀の木や麻を植えるのに適した地を求め、日鷲命の孫を率いて阿波国に至り、定住した阿波の忌部氏が大嘗祭に木綿や麻布(あらたえ)などを貢納するようになったと記すが、以後も大嘗祭には同氏の織った荒妙御衣(あらたえのみそ)を献上するのが常であった[4]。また、当神社後方の「黒岩」と呼ぶ山腹に6世紀後半の築造と見られる5基の円墳からなる忌部山古墳群があり、これは6世紀前後に忽然と現れたもので、当地に移住してきた氏族集団があったのではないかと指摘されている[5]。
社伝によれば、神武天皇2年2月25日に、阿波の忌部氏が祖神である天日鷲命を祀ったのに始まり、もとは上述「黒岩」に鎮座していたと伝える。古来から氏神として阿波忌部氏から、また大同元年(806年)には封戸20戸が充てられていた(『新抄格勅符抄』)ので、朝廷からも尊崇されたたようであるが、詳しいことは不明である。 |