第38番札所 補陀洛院 金剛福寺 さださん ふだらくいん こんごうふくじ
宗 派: 真言宗豊山派
本 尊: 三面千手観世音菩薩
開 基: 弘法大師
創 建: 弘仁13年(822)
真 言: おん ばざらたらま きりく
住 所: 〒787-0315
高知県土佐清水市足摺岬214-1
電 話: 0880-88-0038
駐車場: 普通40台・マイクロバス5台
終日・無料
宿 坊: あり
【由来】
四国の最南端、国立公園の足摺岬を見下ろす丘の中腹にあり、境内は120,000平方メートルを誇る大道場。
弘法大師はその岬突端に広がる太平洋の大海原に観世音菩薩の理想の聖地・補陀落の世界を感得した。
弘仁13年、大師49歳のころといわれる。
四国の最南端、国立公園の足摺岬を見下ろす丘の中腹にあり、境内は120,000平方メートルを誇る大道場。
弘法大師はその岬突端に広がる太平洋の大海原に観世音菩薩の理想の聖地・補陀落の世界を感得した。
ときの嵯峨天皇(在位809〜23)に奏上、勅願により伽藍を建立、開創したと伝えられる。
弘仁13年、大師49歳のころといわれる。
岬は、濃緑の樹海と白亜の灯台、それに断崖に砕ける波涛、観世音さんの浄土を連想させ、自然の大庭園に圧倒させられるのだが、ここにたどり着く遍路の旅もまた壮絶を極める。
前の三十七番札所から80余km、いまは車で約2時間余、歩いたら約30時間、3泊4日はかかり、四国霊場の札所間では最長距離で、まさに「修行の道場」である。
大師は伽藍を建立したときに三面千手観音像を彫造して安置し、「金剛福寺」と名づけられた。
「金剛」は、大師が唐から帰朝する際、日本に向けて五鈷杵(ごこしょ)を投げたとされ、別名、金剛杵ともいう。
金剛杵は密教やチベット仏教における法具である。
仏の教えが煩悩を滅ぼして菩提心(悟りを求める心)を表す様を、インド神話上の武器に譬えて法具としたものである。
また、「福」は『観音経』の「福聚海無量」に由来している。
歴代天皇の勅願所となっていたが、武将からも尊崇された。とくに源氏一門の帰依が厚く、源満仲は多宝塔を建て、その子・頼光は諸堂の修復に寄与している。
戦国時代以降、海の彼方にある常世の国・補陀落浄土を信仰して、1人で小舟を漕ぎ出す「補陀落渡海」が盛んだったことや、一条氏、山内藩主の支えで寺運は隆盛した。
大師因縁の「足摺七不思議」といわれる遺跡が、岬の突端をめぐるように点在している。
足摺七不思議
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ゆるぎ石
弘法大師が金剛福寺を建立した際に発見した石。
この岩のゆるぎにより心の善悪を試すと言われています。
・不増不滅の手水鉢
平安時代の中頃、賀登上人と弟子の日円上人が補陀洛(お釈迦様の住む浄土のこと)に渡海せんとしたとき、 日円上人が先に渡海していったので非常に悲しみ、岩に身を投げ、かけ落ちる涙が不増不滅の水になったと言われています。
・亀石
この亀石は自然石で、弘法大師が亀の背中に乗って燈台の前の海にある不動岩に渡った亀呼場の方向に向かってあります。
・汐の満干手水鉢(王朝の満干手水鉢)
岩の上に小さなくぼみがあり、汐が満ちているときは水がたまり、引いているときは水がなくなると言われ、非常に不思議とされています。
・根笹
この地に生えている笹はこれ以上大きくならない笹だといわれています。
・大師一夜建立ならずの華表(とりい)
大師が一夜で華表(とりい)を作らせようとしたが、夜明け前にあまのじゃくが鳥の鳴真似をしたため、夜が明けたと勘違いし、 やめたと言われています。
・亀呼び場
大師がここから亀を呼び、亀の背に乗って前の不動岩へ渡り、祈祷をおこなった。
・大師の爪書き石(名号の岩)
大師が開山の際に、爪で「南無阿弥陀仏」と六字の名号を刻んだ。
・参考
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【巡礼メモ】
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