テニスでは試合の中での精神的な流れや、自分の心のコントロールが非常に重要になる。
ときどき試合の中で弱気の虫が騒ぐことは誰にでもあることと思う。そういうときはなにをしてもだめな気がして自分のテニスができなくなるものだ。
今日の試合に出場するわたしもそうだった。
団体戦でダブルスに参加していた。
試合の前、仕事の忙しさにかまけて、練習不足の自分に対して少し気持ちが後ろ向きになっていた。
直前の練習ではそこそこ感覚ももどってきていたのだった。
「調子は悪くはない。」
そう思ってもよかったはずだった。
しかし「練習してないから勝てないかもしれない」
という気持ちのほうが強かった。
これが弱気スパイラル(弱気の渦)の始まりだった。
第一試合が始まった。
開始直後、相手のサーブがわたしのフォア側に飛んできた。
フォアハンドはわたしの武器だ。
いつもならネットを越えてサーブアンドボレーしてきた相手の足下にボールは沈んでいくはずだった。しかしガサっと音がしてボールはネットにかかった。
「くそ、調子が悪い、やっぱ練習不足だ」
そう思った。
これが弱気スパイラルの始まりだった。
その後、自分のサーブをダブルフォルトでおとしてしまった。それほど調子は悪くはなかったはずなのに、わたしの心は、たった一度のダブルフォルトのことだけつかまえて「きょうはサーブの調子が悪い」と決めつけてしまった。
そうするうちにストロークとサーブはそのゲームの中では自信のないショットとして位置づけられてしまった。
こうなると消極的なテニスしかできなくなって試合どころではなくなった。なにを打ってもうまくいかないような気持ちになるのだ。こっちにボールがこないでくれ。というかんじだ。もうボロボロ。
当然、負けた。パートナーにも申し訳ないという気持ちでいっぱいで落ち込んだ。
しかしまだ第二試合が残っていた。
このままではだめだ。こんな精神状態で勝てる訳が無い。なんとかせねば。
なんとなく自分の心の持ち方、ハートでなんとかなりそうな予感はしていた。
今回の敗因はつぎのような弱気のスパイラルだった。
■弱気のスパイラルのスタート->「練習不足では勝てないかもしれない」->「やはりミスした」->「これでは勝てない」->「またミスをした」->「もう使えるショットがない」->スタートに戻る
そしてふと思い出したことは
心は、心の中で使う言葉を現実と考えてしまう
ということだ。
わたしは心の中で「だめだ、こんなのでは勝てない」を繰り返していたのに気がついた。そしてその結果、勝てない現実が実現してしまったのだ。
団体戦だったので、まだ第二試合が残っていた。
わたしは次の試合までに自分の考え方を変えるように努力した。
まず冷静に自分のショットを振り返ってみた。
確かに普段よりもミスが多かった、練習不足は否めない。
しかし、ミスが普段より多いというだけで勝ちをあきらめるのは早すぎる。
負けてもないのにあきらめるな。
相手よりも少しましなテニスをすれば勝てるのだ。
そこには自分の練習不足もミスの多さも関係ないのだ。
相手が自分よりミスをするかもしれない
相手のほうが自分より練習不足かもしれない
勝手に自分が勝てないと決める必要はないのだ。
自分の心の中では、誰が勝つかを決めるのは自分の勝手でいいのだ。
勝つのは自分だ。そう思うのは勝手なのだ。
そして第二試合が開始。今度の相手はさっきよりもさらに強い相手だったが歯が立たないというほどの相手ではなかった。
今回は第一試合とはまったくちがう気持ちでテニスができた。
ショットが決まると「よし勝てる」と心の中で言った。ミスしても気にせず「次のボールに集中」と切り替えた。そうすることで否定的な考えはまったく心の中に出てこない状態になった。積極的なテニスができるようになったのだ。
これは気持ちがいいことだ。気持ちがいい。これを求めているのだから。
そうすると不思議なもので、よいショットもでてくるようになった。驚くべきことだ。心の持ち方ひとつで動きがまったくちがうようになったのだ。パートナーも「さっきとぜんぜん動きがちがう」と言っていた。
なにより試合中も試合後も気持ちが前向きでいたことで、自分のショットが打てて自分のテニスができたので満足している。
「テニスってすごく不思議で、連敗してても1回勝てばすごい自信が出てきて、負けていたという記憶がなくなるんです。
自分が負けているときは何をやってもだめだけど、ちょっと勝つと、今度は何をやっても勝てるようなそんな感じになっていくんです。」
出典
http://blog.livedoor.jp/mytennis/archives/cat_852719.html